レポート・現地情報

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岩手県大槌町「復活の薪」レポート:未来の美しい吉里吉里国のために

 「緊急支援」から「復活の薪」へ

代表の芳賀正彦さん。
震災直後から、町を救う一心で奔走されてきた。

 地下に燃料がある。ガソリンスタンドで働いていた芳賀正彦さんは経営者と連絡が取れない中、窃盗罪に問われる覚悟で消防自動車や警察などの緊急車両や避難所(の暖房)に燃料を提供する決断を下した。津波被害で各地ともに燃料がないため、山田町や釜石市からも行列をなしたという。4日後、再会した経営者から「よくやった。我々は今まで吉里
吉里の方たちのお陰でやって来られた。その恩返しが出来た」と言われたそうだ。「そのときは嬉しかった」と一言呟かれた。

 吉里吉里のある大槌町は町長も亡くなり、行政も壊滅的な被害を受けた。しかし吉里吉里では住民同士が結集し、行方不明者の遺体捜索、道路の確保などを行い、自衛隊が到着する前に野球やサッカーをやる広場にヘリポートを用意していた。そして彼らは行政との連絡が取れないまま、漁師の一人をリーダーとして元々の自治組織や消防本部などのリーダー8人で自主的に災害対策本部を立ち上げ、活動を継続した。
 
震災から20日経ってようやく遠野の農林事務所からお風呂が提供され、津波で流された瓦礫の廃材を薪に利用した。そのうち、ボランティアの一人が「この薪を販売したらどうか」という提案をした。こうして5月には「復活の薪」プロジェクトが始まった。

 避難所での日常を忘れられる仕事

廃材の釘は、ひとつひとつ手作業で取り除く。

  「復活の薪」プロジェクトに集まったメンバーは全員が避難所生活者だった。メンバーの中には避難所に入って1、2か月が経った当初はまだ、早く元の職場に復帰したいとか復職したいという思いよりも、じっとしているのは辛いという思いが強かったそうだ。16時くらいから暗くなってきて、くたくたになって避難所に戻ってきても眠れない。1晩中グラウンドでたき火をしていると、誰かが必ず居たという。
 
もちろん薪が本当に売れるのかという心配もあった。しかし、実際に作業をしてみると「スタッフの顔つきが変わった」と代表の芳賀さんは言う。行方不明者の捜索、瓦礫の撤去などの仕事はしていた。それでもみんな “何か”をやりたかったという。

 生産が追いつかないほどの注文数に

当初は自分たちで集めていた廃材も、
建築会社の方が取り置きしてくれるように。

作業は薪の材料である津波で流された瓦礫集めから始まる。徐々に瓦礫は減り、材料を確保するのが難しくなったが、何度も繰り返し瓦礫集めを行っているうちに、建築会社の方が自然と材料として使えそうな木材を別置きしてくれるようになった。「復活の薪」では防腐剤やその他の塗装等を施した材は使わなかった。ダイオキシンを出さないという配慮からである。元々は処理加工されていない材を使っていたが、最近は廃材が足りなくなったため、そのようなものでも表面を1cm削って使っている。
 
元々10数名のメンバーは、それぞれ職場に復帰したり、漁師だった者は港湾の復旧作業に従事したりして、現在は3、4名になっており、その分、今は全国のボランティアがその穴を埋めている。当初心配された売れ行きも6月に新聞、テレビなどに載せられたたことで火が付き、約5000袋の注文があり、今は生産が追いついていない状態だという。現在作れるのは天気の良い日で1日100袋程度である。

 1日働いても収入は1日2000円ほど

薪の販売価格は米袋に10kg入り500円、作業代として吉里吉里地区で再興した商店など地域で利用できる商品券「吉里吉里銭ンコ」として全額支払われるか、400円の現金として支払われている。また、従来の方法では配送の関係で東京都23区以外には個人宅に送れないことが分かり、設定した配送費よりも余分な経費が掛かっているが、値段は上げずに支援金などで賄っているという。支払いは月に2度、1日の作業時間が昼休みの休憩1時間を含めて8時から16時までなので1日あたり2000円分くらいの収入にしかならず、メンバーは金のためではないというものの、生活の糧とはなっていない。時間単価で賃金を決めることは運転資金の面から考えても困難であり、したがって請負制度になっている。そんな中で漁師だったメンバーの一人は最初に稼いだお金で奥さんに化粧品をプレゼントしたそうだ。。

「復活の薪」の先にあるもの:吉里吉里国の夢

「復活の薪」は瓦礫がなくなれば終了ではない。
その先の仕事を見据え、林業を習い始めている。
(写真は「吉里吉里国 復活の薪」WEBサイトより)。

芳賀さんは一見、論理的には矛盾しているとも思えるような二つのことを仰っていた。一つは今を生きること、そしてもう一つは遥か過去と未来を見据えること。しかし不思議なことに、それを伺っていると、その両方が腑に落ちると表現する以外にないくらいまったく自然に腹の中に落ちてきた。

「復活の薪」プロジェクトは任意団体である「NGO吉里吉里国(現在NPO法人認定を申請中)」の一つとして位置付けられている。「復活の薪」プロジェクトが始まるときに皆で掲げた最終目標は、津波が来るよりももっともっと前の豊かな海を取り戻すことにあるという。最初に自分たちの家族の豊かさを求めるのではない。いい町を作れば、後からいい生活がついてくると考えている。
 
芳賀さんのお話しの中で何度も出てきたのが「今、何をやっているのか」を問いかけることの大切さである。胸に去来するのは犠牲者の姿であり、その人たちに笑われない生き方をしようという風に思っているという。50年先にならないと自分たちのやっていることは分からない。子ども、孫の代まで掛かる。何が正しいかは分からないが、順番さえ間違えなければ大丈夫。そしてその順番を決めるのが設立の理念である。
 
海をよみがえらせるために山を大切にする。三陸の町は海が有名であったが、20年後は山と海の町として知られるようになりたいという。瓦礫作業の片付けも一巡して、メンバーは「復活の薪」の他にも林業を手習いのようなところから始めている。週に2回は山に入る。芳賀さん自身も数年前までは7年間ほど林業をやっていたそうだが、最初の技術的指導は高知の「土佐の森救援隊」がボランティアで行ってくれた。そしてこの取り組みを見に来た福島県川内村の人たちは自分たちも「これから山に入る」と言っていたそうである。
 
「復活の薪」に限らず、吉里吉里地区には全国から支援金の他にも物質的な支援もあるという。震災から10日後、携帯に連絡があり、遠方から「何が欲しいか」と聞かれたとき、何が欲しいか分からなかったと芳賀さんはいう。むしろ、自分たちがそれを具体的に考える前に、支援者の方からこういうものは必要ないかと言って支援されることも多いそうだ。

 吉里吉里を愛する人たちの強い思い

事務局長の木村さんは、現職を辞め「復活の薪」に専念。

現在、有給の職員は芳賀さんと木村さんの二人だけ。私たちのアポイントを取り次いでくれた木村さんは勤務する釜石の大手製造メーカーに勤務していたが、芳賀さんから言わせると「相談なしに勝手に」辞表を提出して来てこの事業に専念されたそうだ。芳賀さんはその思いに応えて彼を事務局長として迎える。
 
「最後に」と言って、芳賀さんが唐突に関東の福祉大学を卒業した青年のことを紹介してくれた。卒業前は都会で条件の良い職場に就職したいと考えていたところ、春休みに帰省中、震災が起こってすべてを失くした。しかし、震災の状況を見て災害復旧活動に従事する中、地元に残ることを決めた。曰く「働く場は自分で作ります」。現在は大槌町の社会福祉協議会で臨時職員として勤務している。芳賀さんは将来のリーダー候補として吉里吉里国の理事に迎えることを決めたそうだ。


左から4番目が芳賀さん、5番目が木村さん。
CFW-Japanのメンバーと一緒に。



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