レポート・現地情報

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気仙沼市「思い出は流れない写真救済プロジェクト」
思い出を、持ち主のもとへ―
この「しごと」は、きっと誰かのためになる。

持ち主を待つ「思い出たち」が、体育館を埋め尽くす。

舞台上には大漁旗。
手前は作業スペースになっている。

気仙沼唐桑体育館。ここに一歩足を踏み入れた途端、目にする光景に胸が詰まる思いをする人は少なくないだろう。きれいに並べられた長机のうえに、びっしりと並ぶ大量の写真。

見つかった場所ごとに分けられ、一部はアルバムに入れられ、大きなものは壁やネットに掛けられ、きちんと整頓されて並んでいる。

奥には手紙や卒業証書、ランドセルや仏具の類もある。結婚式や旅行のスナップ、地元のお祭りや運動会、孫の晴れ着姿や代々の遺影…。その一つ一つから、目を離せなくなる。数えきれない、それでも確かに残っている「思い出」たちが、持ち主のもとに帰る時を静かに待っているのだ。

写真を見つけた女性。
手には大切そうに家族の卒業証書が。

「あー!あったぁ」

体育館を見回していると、隣で女性の声があがった。
「このアルバムの中に、これ、旅行に行った時の写真。ほら、私がいる。
違う方の写真も混じっているから、この2枚だけみたいだけど…」ご主人とお子様の卒業証書がこちらで保管されていると連絡をもらったこの女性は、それを取りに来るついでに写真がないかを探していたという。正直、驚いた。これだけ大量の写真が並ぶ中から、あるかないかも分からない自分の写真を見つけ出せるなんて。

5人のスタッフを採用。企業からの支援も大きい。

必要な設備が整った作業スペース。

洗浄が済んだ写真は丁寧に乾燥。

損傷が激しく救済できなかった写真は、
「供養」と書かれたカゴに。

体育館の手前側にはスキャナーなどの機材が並び、洗浄された写真が乾燥のために吊るされている。この体育館内で、実際の洗浄作業から仕分けまでが行われる。写真の数は、およそ100万枚。富士フィルム㈱や富士通㈱をはじめとする企業からの支援を受け、技術や機材、薬品などを確保している。

この事業のために気仙沼復興協会が雇用しているスタッフは9名(10月現在)※。実作業には、そこに市役所職員やボランティアなどのスタッフが加わる。取材した日は5,6名のスタッフの方々が作業にあたっていた。機械を使うとはいえ、基本的には一枚一枚手作業が必要。その後の分類作業も考えると、100万という数は途方もない。しかも洗浄を待つ写真は、次々に運ばれてくるのだ。

しかし一方で、この作業はボランティアの手を借りやすいという利点もある。洗浄さえできれば、場所を選ばないからだ。全国の写真店や大学などに未洗浄の写真を送り、ボランティアで洗浄してもらう。きれいになった写真は再び箱に詰めて、気仙沼に送り返してもらう。6月から7月までの間で、なんと延べ1000人ものボランティアの協力を得られたそうだ。その後も、この方法でのボランティアを継続している大学や写真店などが少なくない。

※なお、雇用数は11月1日付で1名増え10名に。中旬にはさらに5名程度の採用を予定している。



効率化だけじゃなく、可能性も重視。

「お一人のものと思われます」など、
気付いたことはスタッフがメモをそえる。

写真を持ち主に返すためには、デジタル化して分類し、検索システムを導入するのが効率的では?素人頭ではすぐにそう考えてしまうのだが、写真の分類と検索については課題や悩みも多そうだ。高井さんはこう語った。

「写真は流れてきたものばかりなので、もともとどこの地域から来たのかまではわからないんです。分類してしまうと、(該当するカテゴリー以外は)探さなくなってしまう。すると、見つからなくなる。この体育館だけが“リアルな場所”なんです」

波に運ばれ、自分のアルバムがまったく別の地域で見つかってもおかしくはない。慎重に分類しないと、逆に見つけ出せなくなる原因にもなってしまうのだ。最適な分類方法を見つめるために図書館の分類方法など様々なシステムを調べる一方で、写真が集約されたこの“リアルな場所の可能性”に重きを置いている。

「過去に写真を見つけた人の例や波の流れた軌跡を元に、どこあるか推測して探すのを手伝ったりもしています」とおっしゃる高井さん。洗浄工程同様、やはり人力の欠かせない作業だ。



「汚れたものは、きれいにしたい」。発端はシンプルな想い。

高井晋次さん。キャップがトレードマークだ。
作業スペースを丁寧に紹介してくれた。
 

 設備や人員の確保など、比較的順調に進んでいるこのプロジェクトだが、最初から“事業”として出発したわけではなった。写真救済の始まりは、高井さん個人のボランティア活動だった。
 
高井さんはもともとイチゴ農家。3.11で被災し、避難所暮らしが始まった。農業の再建を望みながらも、すぐに何ができるでもない日々。「目の前のことからはじめよう」―そう決めた矢先、目に留まったのが避難所に集められていた遺留品の数々だった。
 
それは、自衛隊や消防団の方々が瓦礫の中から見つけてきたアルバムや手紙たち。見過ごせず持ち帰ったものが、避難所の入り口に雑然と置かれていた。
「散らかっていると、片付けたいって思いますよね。それと同じで、とにかくこれを整頓しなきゃって思ったんです」
 
避難所の有志を集めてかりそめのテントをつくり、そこに遺留品を運び出した。泥を落し、磨き、分類する。でも写真は、どうすればきれいになるかわからない。高井さんは思い切って、新聞で写真救済活動が取り上げられていた富士フィルム㈱に電話する。そして言われたとおり、ぬるま湯で丁寧に洗い、乾燥させた。中には、何事もなかったかのようにきれいになった写真もあった。
 

必要ならば、ためらわずに支援を呼びかけよう。

当時の避難所内での展示場所は、「思い出ハウス」
と呼ばれていた。(写真は高井さんのブログより)

プリンタやスキャナなど、全国からの支援に
支えられた。(写真は高井さんのブログより)

活動は口コミで広がり、マスコミへの露出が増えたことで探しに来る人やボランティアも増えた。写真を干すための洗濯ばさみや、洗った写真をしまうポケットアルバムなど、必要なものは高井さん自ら積極的に支援を呼びかけた。すると物資や設備の支援が、全国からどんどん集まった。


支援をお願いすることには、当初ためらいもあったと高井さんはご自身のブログで振り返っている。しかし、「ためらったら何もできない」と自分に言い聞かせた。その結果の善意の支援が、高井さんのやりがいを支えた。

こうしてプロジェクトが軌道に乗ったのは、GWあたりのこと。その翌月には、気仙沼市の出資のもと、気仙沼復興協会のプロジェクトとして事業化されることが決定。高井さんの肩書は、「気仙沼復興協会写真救済班総括責任者」になった。事業化によって雇用口が生まれ、高井さんの活動は市とともに採用面接も行うまでに広がっていたのだ。



プロジェクトを広げる、二つの原動力。

大切に飾られていたであろう、家族の
肖像画も置かれていた。

「今日はこの辺でペンを置きます。
夏カゼひかない様、気を付けてね。」
手紙に書かれた何気ない日常の一言が、
改めて心を打つ。

プロジェクトの成長と事業化のカギになった要因はいくつか考えられるが、ここでは大きく二つを挙げたい。ひとつは、言うまでもなく「写真の力」。そしてもう一つが、高井さんご自身の、「しごと」へのまっすぐな考え方だ。

プロジェクトの名前にもなっている、「思い出は流れない」という言葉。ここに、写真の力が集約されているだろう。残された写真たちは、“過去の記憶や時間が決して失われていない”ということを私たちに再確認させてくれる。家族の歴史の証、と言っても大げさではないかもしれない。だからこそ、人は写真を探しに体育館を訪れ、大量の写真の中からじっくりと自分たちの過去を探す。そしてその一つ一つの思い出に敬意を払うかのように、全国からの支援が集まる。

写真といった個人プライバシーに関するものを勝手に扱ってもいいのだろうかと悩んだこともあったが、今のところそこに対するクレームは来ていない。洗浄のために全国のボランティア先に送り出し、戻ってこなかった写真ももちろんゼロだ。

写真の力と言えば、プロジェクトの主旨である「持ち主に返す」ことのほかに、高井さんはこんな話もしてくれた。

「デジタル化して、仮設住宅の方々にも見せてあげたいんです。たとえ自分の写真じゃなくても、写っている風景や時代を共有できれば、ああ、私の実家もね、うちの孫もね、といった話のきっかけになりますよね」

仮設住宅に暮らす高齢者の見回りなどでも、今後写真救済事業が活躍できるかもしれない。

誰のための、何のための仕事なのか。

 高井さんのブログを巡っていると、非常に印象的な日記を見つけた。まだプロジェクトが市の事業になる前、4月29日に書かれたものだ。

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 津波で流された写真を持ち主に返すことは、仕事だと思っている。
自分は、仕事とは人のためになることだと思っているからだ。
しかし今、この仕事ではお金は貰えない。
だから、みんなからボランティアだと言われる。
でも自分は、これはお金を生む仕事になると信じている。
そして、被災地に雇用を生み出せるに違いない。
そうなるまで、辞めるつもりはない。

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 ブログを拝見して知ったのだが、イチゴ農家を始める前は東京でエンジニアとして働いていたそうだ。お客様の意見を聞きながら自分でシステムを設計し、ソフトをつくり、そしてお客様から“直接評価してもらえる”。やりがいを覚えていたが、間もなく自分の評価と対価に納得できず転職。続く転職先で給与は倍増したものの、作業設計や指示出しがメインで直接手を動かせず、フラストレーションがたまる。「これは自分のやりたい仕事じゃない!お金の問題じゃない!」
 
そんなとき、偶然テレビの農業特集で耳にした「農業はものづくりなんです」という言葉に惹かれ、サラリーマンからの一転を決意。「自分で作ったものを直接お客様に食べてもらえるなんて楽しいだろうな」と、気仙沼に移り農業を始めたのだ。
 
この経緯は、今回のプロジェクトや高井さんの行動力と無関係ではないだろう。ここには、働くことの意義が多く含まれているように思う。
「誰のために働くのか」「納得できる対価とはなんなのか(=お金だけだろうか?)」「働くことが何につながるのか」。

これまでの人生で、自分自身にこれらの問いかけをしてきた高井さんだからこそ、今回の事業化にも信念を持って取り組んでいるのではないだろうか。人のためになるしごとに対し賃金が発生するのは、決して後ろめたいことではない。それによって雇用の機会が生まれ、しごとが広がり、助かる人が増え、そしてこのサイクルは、明日をつくることにきっとつながる。
 
しごとをすることの意味を改めて示しているような、「思い出は流れない写真救済プロジェクト」。今はボランティアの力にも頼っているが、いずれもっと大きな雇用口を生み出していけるかもしれない。その可能性に向けて、現在もプロジェクトの輪は着実に広がり続けている。

 

取材を終えて。オレンジのユニフォームが、復興協会のみなさん。
上段右から2番目は、CFW-Japan代表の永松氏。

 

 

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